歴史

おしくらまんじゅうの歌(昭和50年代のしおり)

創業当時の店舗外観
(旧店舗)

開店記念色紙
(1968年4月)

渋川出身の横手由男画伯作

2022年に発見された色紙原画(横手由男画伯作)

おしくらまんじゅうの歌(1998年11月十三夜)

まんじゅうの起源(説:Wikipediaより)

日本の饅頭の起源には2つの系統がある。ひとつは1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した林浄因と共に入ってきたと言われている。
その際、禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭を用いる事を考えた。
しかし従来の饅頭は肉を使ってしまう(本来の仏教では肉食は禁じられていないが、日本では肉食を禁じた[要出典])ので、代わりに小豆を使った饅頭が考案されたと言われている。
その後、林は奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立てたことから、漢國神社内の林神社と呼ばれる饅頭の神社で、菓祖神として祀られている。

もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年(仁治2年)に南宋に渡り学を修めた円爾が福岡の博多でその製法を伝えたと言われる。
円爾は辻堂(つじのどう=現・博多駅前一丁目)に臨済宗・承天寺を創建し博多の西、荒津山一帯を托鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われる。このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にある。
奈良に伝わった饅頭はふくらし粉を使う「薬饅頭」で、博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/饅頭